2020年10月30日

回帰、野獣の思考

daitokuji.jpeg

 今回、クレーンの査定で神戸に出張した帰りに時間があったので京都に立ち寄ることにしました。

 京都は学生時代4年間暮らした僕の第二の故郷です。

 当時、北大路大宮というところに住んでいたのですが、大徳寺がすぐ隣にあり、4年生の時は週休4日だったのでよくぶらぶらしてました。

 大徳寺は他のお寺と違って開放的でユルいところが当時はあり、24時間境内に入り放題、駐車場は夜間は無料で停め放題でした。たぶん、責任者の方(和尚さん)が寛容で器の大きい方だったのだと思います。
 僕はその中でも「大仙院」(一休さんが住職を務めたことで有名)という塔頭で時間を過ごすことが多かったです。
 あの頃はインバウンドでもなんでもなかったので、金閣寺や清水寺は人がそこそこいましたけど、大徳寺あたりになると平日の昼間はほとんど人がいない状況でした。
 その大仙院の南側にある庭園をただ眺めて過ごしていたのですが、今の自分の思想の基礎はその頃にできあがったのだと思います。

 その塔頭には尾関宗園という僕が生まれる前から大仙院の住職をやっている方がいて、暇なのかよく声をかけてもらいました。

 「やりなはれ、やったらええんや」「裸になれ、生きなはれ」「できる、なんでもできる」とか言うポジティブ発言オンパレードな和尚で、知らないうちに感化されていったのかもしれません。
 いまにして思えば、さすが一休さんの思想を現代に受け継ぐだけのことはあり、その魂は「猪木イズム」にも通ずるものがあるのです。

 この道を行けばどうなるものか
 危ぶめば道はなし
 踏み出せばその一足が道となる
 迷わず行けよ 行けばわかるさ


 今回、約25年ぶりくらいに参詣したのですが、尾関和尚、ご存命でグッズ売り場のところに鎮座してました。
 そして、もちろん半分ボケてるので、僕の顔を覚えているはずもなく、見るや否や、「あんたはええ顔しとるな、後光が差しとるで」から始まる褒めちぎり。

 変わってねえなぁ。

 だから、真顔で言い返してやりました。
 「ジジイ、葬儀場みたいな顔してるな。今、穴掘ってやるから入れ。」って。

 周りにいた寺関係者はドン引きしてましたけど、本人は柳に風とばかりに涼しい顔。もしかして、聞こえてねえのか?

 もう、当分来ることはないから、ジジイ、長生きしろよ。


 尾関和尚、そして、大仙院の空気が学生時代に持っていた僕の「野獣の部分」を覚醒させた瞬間でした。




posted by ネイチャーアンクル at 00:00| 静岡 ☀| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする